家族であっても1人の人間
不思議なもので、家族のことは自分のことのように、気になってしまうもの。
もっとこうすれば良いのにとか、なんでそうなるかなぁとか、悩みは尽きない。
無意識のうちに、どこかで、こうあって欲しいという自分の願いや理想を押し付けているのかもしれない。
いわゆる、人を変えようとしている。ということ。
理想を押し付けていなくとも、心の中で、「どうして?」「なぜ?分かってくれないの?」と、考えること事態が日々のストレスになる。
愛する家族だからこそ、気になって気になって、夜も眠れないこともある。
けれど、これは、「自分の問題ではない」ということに気付く。
家族であっても1人の人間だということ。
人にはそれぞれ「課題が与えられている」ということ。
父は父の課題。
母は母の課題。
兄(姉)は兄(姉)の課題。
弟(妹)は弟(妹)の課題。
私には私の課題。
課題は本人が気付いて、一つ一つ乗り越えていくもの。
周りは、手を差し伸ばしたくなったり、干渉したくなるかもしれないが、こればかりは
「本人の課題であり本人の人生であること。」
人を変えることはできないが、自分は変えことができる。
自分を変えることができれば、全てが変わっていく。
転んで、泣いて、人の温かさに触れ、
初めて"自分の小ささ"を知る。
立ち上がって、前を向いた時、
人は"成長"する。
どんな人にも乗り越えないといけない壁がある。
それを乗り越えた先にはきっと、想像を遥かに越えた本当の幸せが、そこには待っていることだろう。
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